日々のなんやかんや
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

Posted by : スポンサードリンク | - | | - | - | -
きりなし
〜の立場になったらわかりますよ、ていう場面に遭遇すると、でも〜の立場じゃない人の気持ちはわからないですよね。
と思う。

なりたいけど、なれないのか、なりたくなくて、ならないのか、どうでもいいのか。もし同じ立場になっても感じ方違うだろうし。
って言い始めたら、キリがない。

自分だったらこうする、てのがあるから、そうじゃないとなんだかなー、と思ってしまう。

人の気持ちなんてわからないもの。
こうなのかな、と想像しかできず。

正しいか間違ってるかで、分けることじゃないのに、正しいと間違ってるに分けようとしてしまう。

好きか嫌いかで分けていいことと、そうじゃないこと。

今、何が問われているのかちゃんと理解しなければな。

そう、そう思うけどさー、て時があってさ。煮てさ焼いてさ食ってさ。

いつだってぐるぐるとそんな風に考えてしまうのでさー。


*****

かわいさに泣ける子どもの話。

てやんでい

あんまとめした


てやんでいの子のお母さんも好きだ。ひったていーって連れて行くその機転というか。

あんまとめしたの子はなんかもう、そいにする、の所からかわいくて泣ける。


子どものかわいさに昔からなんだか泣ける。
ほのぼのの涙。

*****

スーパーに自転車で買い物に行って帰ってくる時、なんでもないような日常を繰り返して、人は生きていくんだなぁと思った。
なんでもなくない時もあるけどさ。
比率的に、なんでもないような方が多いんじゃないかな、と思うわけです。

ご飯作って食べて片付けて、服を洗って乾かして畳んで、部屋やらを掃除して。
お風呂入って、歯磨きして寝る。
繰り返すこのポリリズム。
めんどくさーと思うこともあるけど、この繰り返しをして生きてんですね。

なんで繰り返すシステムになってんのかね。これね。
破壊と構築なんですかね。

*****

先日の自宅療養中に母が蒔いた大葉が、今日芽を出していた。
お!と思い、入院中の画像を母にメールで送る。
写真を撮るためにじっと見てたら、ちょっと嬉しいというか、かわいいな、と思った。植物全く興味わかないのに。

大葉 栽培で森田。
ふむふむ。

60日で収穫できる早いやつにしたので、成長も早いのか?
夏休みの観察日記。

Posted by : bombori | おもうこと | 01:05 | - | - | -
なーぜーめぐーりあーうのーかをー
家庭的だと言われる。
それは私が、炊事と裁縫ができること、こどもが好きなことを知ると、大抵そう言われる。
先日伯母が家に来た際、私のこどもが見たいわ、と言った。
あと、知り合いの結婚相手を探してる人がいるという情報も。
笑ってやり過ごす話題。

家庭的であっても、家庭を持つとは限らないのであって。

父はもう諦めたのか、ほとんど言わないし、母は自分の好きにしたらええがな、の人なので、何も言わない。
私が幸せであればそれでいいと思ってくれていると、思っている。

私は結婚したいと熱烈に思ったことは一度もない。

結婚したいと思ってからの問題であろう、という、そもそも問題。
そう思ってからの。そう思う人がいてこその。

というのは、結婚に対しての過剰な期待があるのか、などと思わないでもないけど、この際それは置いといて。

この前、結婚できないという幸せもある、という記事を読んだ。

結婚しないかわりに、他に幸せを見つけるんじゃないか、という。

何をもって幸せとするのかは、その人次第だ。
このことをずっと思っていた。
そんでもって、先に幸せになるかどうかわかる術はなく、後で思うこと。


私は結婚しないかもしれないけど、それはそれで、と思っていて、別の何かを見つけるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
自分の人生がどうだったか、振り返り、どう思うかはきっと死ぬ間際。


この前、大学時代の友人達と会った時、独身の友人は、ちゃんと妊娠できるように体のケアをしてる、と言うていた。

卵子凍結について、どんなもんなの、と調べたことがあったり、こどもだけでも、などとチラリと思ったことはあるけれど、後悔したくないから、と、そのために手を打つことはいいことなんだろうなーと思うけど、私はだいたいその時になってから考えよう、と思っているので、この先もそうかもなーと思っている。


私は熱烈に何かを望んだことあったか。
熱烈に何かを望むことに対しての憧れがきっとあるんだろうなと思っている。
それを手に入れるのかどうか。
手に入れたら変わるのかもしんないな。

それはまたその時に考えよう。
Posted by : bombori | おもうこと | 21:45 | - | - | -
おけない人
ぬいぐるみが好きです。

かわいいものが好きだから、ぬいぐるみも好き、なんだと思うんだけど。

名前付けます。
ちょっと話かけたりします。手が当たって、あ、ごめんね、とかそんな感じの。
で、そのぬいぐるみの性格とかも、なんとなく自分の中であって。

それは私の中では、普通のことで。
でもそれが万人に通じるとは、勿論思ってなくて、むしろわかってくれる人は、少ししかいないだろうと思っていて。
真面目に言ったら、え、なになに?な事案でしょう。それもわかっております。


だから、あんまり人には言わないことなんだけど、人生において、この人は!って人がいるじゃないですか。
気の置けない存在の人。

大人になって出会い、意気投合し、暇さえあれば喋っていた友人と、なんかの流れで、ぬいぐるみの話になって、子供の頃、ぬいぐるみ達の下に風呂敷敷いて、なんかあった時には、すぐに一緒に逃げられるようにしてた、という話をしたら、私も避難訓練してたよ、と返ってきた時、この人は!ってなった。
それ以外にも、そう思うところがたくさんあったんだけど、それは結構衝撃で。
いるんだ、同じような人って。

それから幾年月が過ぎ、ぬいぐるみの旅行会社、ウナギトラベルを見つける。
これは!となり、すぐに友達に言った。
ぬいぐるみ達を参加させよう、と申し込み。
申し込みの時に来た、細かなアンケートを読んで、これは!となる。
性別はあるか、好き嫌いはないか、車酔いはしないか、ぬいぐるみの性格は?などのアンケート。
感嘆。

ぬいぐるみ達を参加させ、旅を見守り、帰ってきた後も、ウナギトラベルの旅の様子を見ていた。

東京でゴーイングのライブがあった時、ちょうど、ウナギトラベルでイベントがあって、見に行った。勿論ぬいぐるみを連れて。
そしたら、ウナギトラベルの中の人、東さんは、私のぬいぐるみを見るや否や、ぬいぐるみに向かって、あ、久しぶり〜と手を振った。
その時もまた衝撃を受けた。だからウナギトラベルはみんなに愛されているんだなーと。

前述の友人とは別の、また大人になってから仲良くなった、こちらもぬいぐるみに並々ならぬ思いを抱く友人に、ウナギトラベル含め、その事を話すと、泣きそうだ、と言った。
そんな風にわかってくれる人は、本当に本当に少ない、と。

類は友を呼ぶ、とは本当によく言ったものだと思う。
共有出来ることが多いし、理解も早いから楽しい。
そうそう!って思うこと、それは小さな小さなことだったりするんだけど、そういうことって結構大事なんじゃないかなって。
そういうのって、妙に嬉しくなるからさ。
ただ、なんでもかんでも、わかる!って言われると、それはそれで、なんでやねん、と思ったりもするけれど。ほほ。

好きなものを通じて出会う人々は、なんだかあたたかい気持ちになるし、親近感が湧きやすい。

最近ご縁があったり、久々に友達と連絡したりして、わぁーと思ったのでね。


Posted by : bombori | おもうこと | 23:47 | - | - | -
なんだっけ
結婚について考えてたら、いつの間にか幸せとはなんぞや、になっていた。

「結婚したい」のあとに続けて、「幸せになりたい」とか、結婚した人に、「お幸せに」てのを聞く度に、なんだかしっくりこないのは、今幸せじゃないわけでもなかろうに、と、思う自分がいる故に。

私は幸せだと思う。不幸せだと思ったことは多分ない。
恵まれてると思ってる。
ちなみに、40歳は遠くない独身で無職の今も、不幸だとは思ってない。自分で選んだ結果ですし。お寿司。

お幸せに〜という場面の時は、(今よりも、更に)お幸せに〜と言う。カッコの中は言ったり言わなかったりで。

先日友達とやりとりしていた中で、何かを増やしていくことが、幸せってことじゃないだろうと思う、と書いた。
けど、だいたい増やすことは幸せなことに繋がることが多いから、私も更に、と付け足す。微妙な気持ちを抱えつつも。


漫画家と友達の友人がいて、以前お会いしたことがある。
有名な方で、その後に、漫画好きな別の友人に、そういえば、あの漫画家さんにお会いしたんだよねー。という話しをしたら、年齢的に、レベルが上がったね、みたいなことを言われたことがある。
ただ一度お会いしただけなのに。
その時は30は越えてて、年を重ねれば、何かが増えていく、豊かになっていく、それが幸せだと、だいたいの人は思うものなんだと、その時、なんかもやーんとした思いをして、それがこういうことだとは明確に思えなかったけど、今照らし合わせたら、そういうことなのかなーと、思う。


ふわふわとして掴みどころのないもの。
けど、掴みたいもの。
掴んでも掴みきれずに、もっともっと掴みたいと思うもの。
なのかな。


私は、「もっともっと」それが怖い。
なんか怖い。

欲しいものもあるし、全く思わないわけじゃないけど、際限なく欲しくはない。
そうなってしまうこと、思ってしまうことが怖い。


と、ここまで書いて時間を空けたら、際限なく欲しいものあるなー、才能。と思った。才能てか技術か。でもそれは自分の頑張り次第ですな。


理想の部屋を作って行くようなものなのかなあ。
好きな家具を揃えて、心地よく暮らせるように取捨選択していく。
暮らし方は変わって行く。
明確な形なんぞありませんわな。


とか書いて、わてしは片付けがそりゃもうアレなので、部屋の状態は心の中の状態を表す、という言葉通りってのは、むべなるかな。(むべなるかな使いたかった。)
きちんとしなければな、と少しやる気を出して思います。

Posted by : bombori | おもうこと | 22:25 | - | - | -
かもめの水兵さん
母が数年前に電車で見かけたという小さい男の子の話。

その時期は丁度卒業式のシーズンで、振り袖に袴姿の女学生が電車に乗ってきた。

その姿を目にした小さな男の子は、目をパチクリさせて、その女学生を見ていて、その女学生が降りた後、
「きれかったねぇ」
と、心底言ってた。

て話。

その子にとっては、衝撃的だったんだろなー。
ちなみにその男の子の隣にいた妹らしき女の子は、無反応だったらしい。めっさ、素だった、て。

いとをかし。

すぐに忘れてしまったかもしれないし、なんしか、心に残っていて、そっち方面の仕事に就くこともあるのかなーと、思った記憶。


ところで私、セーラー服が好きで。

なんでかと考えると、兄の幼稚園の制服がセーラーだったから。
その制服に衝撃を受けたんだと思う。

北海道にいた時、祖父が撮影してくれたビデオに、兄の制服(夏服)を私が拝借して喜んでる様子が残っている。
私は、兄とは違う幼稚園に通うことになったので、その憧れの制服を着ることはなくて、その後、見事なまでに、北海道から引っ越した千葉で通った幼稚園も、中学も高校も、制服は全部、ブレザーだった。
セーラー服が制服の学校に通いたかったなー。
着ていた子達に、セーラー服の不便さを説かれたこともあるけど、着ることがなかった私は、それも羨ましかった。

大学に入って、自分で型紙ひいて作った服は、セーラー衿のブラウスだった。今振り返るとその型紙は、不具合だらけ。

セーラー衿の服を見ると、反応してしまうし、いくつか持っている。特に春夏服のセーラーカラーの服はさー、いいよな。

小さかった私の心を鷲掴みにした、セーラーの呪縛と言っても過言ではないこのセーラーに対する憧れは、きっと消えることはないと思う。


で、でだ。

先日、セーラーのブラウスを着る時に
、これって、と思ったりして。
40歳になったらセーラー着るかな、と。着てもいいかな、と。
着てもいいんだろうけどさ。
他人の目は、あんまり気にはしないけんど、しかしながら、うわ!無理してるって思われるのはいやだなーと思うし。
びまじょ、て……て思うし。

そんな、自分の年齢を意識したことにも自分で驚いたりして。

私、35歳なんだなーって、思った。

若く見られることが、絶対に良しってこともないよなー、て最近思っていて、それってそういう年齢だから?とか、思うんさ。

自虐ネタに走りがちやけど、そうじゃないことで、笑ってもらう話術を身につけなばな。
てことも。

:::::



で、これは、先日道端で見かけたミルクティー。
ぽつねん。
Posted by : bombori | おもうこと | 00:40 | - | - | -
線路
以前、子供を産み育てることを、

永遠に降りられない電車

と、言った人がいて。

この言葉はとても印象的で、ずっと忘れられない。


言った女性(既婚者)は、私は子供は持たないと決めた、と言っていて、その時私は、否定も肯定もなく、そうか、と思った。
 
これ、色々と語弊が生じそうだよな。受け手とか状況とかによったり。
永遠に降りられないからこその、否定や肯定やその他色々な意見があるんやろうなー。

そもそも、生まれるってことが降りられない電車に乗るってことかもな、と、思うわけです。


生きてくーってことは、誰かを踏みつけて、だったり、誰かに支えてもろたり、支えたり。 

もうそりゃなんやかんやで。 そのなんやかんやする人を産み育てるんですからな。 

:::::

今日、映画「そして父になる」 を見に行き。 

どうしたらええんやろなー。
そんなことになったら、どうするんやろ。 
やりきれない、持って行きようのないおもい。

ずーっと考えながら見ていた。 

家族のかたち。

ふむー。

それにしても、ピアノの女の子うますぎるやろ!ていう。思わず笑ってしまった。

映画前に立ち寄った本屋で、文庫になっているのを見かけたけど、文章になったらどんな風なんだろ、今度見てみよ。






Posted by : bombori | おもうこと | 00:04 | - | - | -
伊勢丹の紙袋
自分の当たり前と他人の当たり前が違うのは、当たり前〜。

では、当たり前とは、なんぞや。

当たり前だと思っていたことが、突然そうじゃなくなることもある。
自分の当たり前と他人の当たり前は違う。
でも、自分と違うと、なんでーと思う。それって当たり前じゃん、って思う。

まぁ、考えすぎると、どうしたらええか、わからなくなるけどな。

なんで、当たり前って言葉があるんだろうな。

:::::

先日、仕事を依頼している○○さんのところから帰ってきたF氏が、○○さんとこが、△△さんとこに仕事依頼しようとして、「工賃未払いがあるから、受けません」って言われて、うっかり支払い忘れてたのがあったのかと調べたら、千いくらが残っていて、振り込みにすると手数料やらでなんのこっちゃ、になるから、次回まわしってことにしてたらしく。

○○さん側からしたら、千いくらで?!
△△さん側からしたら、金額の問題じゃない。


少額の時は、そういうことも、あったりする。そこそこコンスタントに仕事してたら。
でも双方連絡すれば良くない?と社内で話していて。

これは推定だけど、前にそういうことがあって、じゃー次回まわしねってなって、今回もそれでいいと思って連絡しなかったのか、とかかなーって。

たかが と されど。

これは、重要なことだなー。人と人の間でも。
そして、連絡することの大切さと。(あ、連絡してるかしてないかかどうかは、わからないんだけど。上の出来事については。)
前回もOKだったから、今回もいっかーって勝手に判断するのはだめかもなっていうね。
ホウ レン ソウ、な。(報告 連絡 相談)

特にお金に関しては、慎重にせななー。

と刻みました。


まぁ、何が言いたいかって、COWCOWの当たり前体操が好き!っていうことやな。
伊勢丹の紙袋のチェック柄も好きだ。

Posted by : bombori | おもうこと | 00:36 | - | - | -
手のひらの記憶
借りたものは返しましょう。
小さい時に習いますよな。

私は借りっぱなしで、返してない漫画がある。


小学校、中学校の同級生だった、佐々井(仮名)。
佐々井は眼鏡をかけた、真面目な、すれていない女の子であったけれど、中3の時にグレた。
家出して、学校に来たかと思えば、茶髪で化粧し、スカート短くして。
私は一時のことなんじゃないかなー、なんて思っていた。
中学を卒業して、私と彼女は別々の高校へ行った。 高校を1年で辞めて美容師になると言い出し、その後、年上の男の人と付き合って妊娠して出産した。確か16歳で。

その後、子供の写真入り年賀状が来たから電話したのだったか、佐々井の暮らしている、旦那さんのお家(旦那さんの両親も同居)に遊びに行くことになって、(この辺なんで行くことになったか、全く覚えてない。当時は携帯電話もなかったから、私が電話したんか、それとも、佐々井から電話かかってきたのか、どうだったんだろ。年賀状がきたのは覚えてる。)佐々井と佐々井の子供に会った。男の子だった。歩いていたから1歳くらいだったのかな。かわいかった。
その時に、佐々井に漫画を借りた。パラパラと読んでたら、(なんで読んでたんだろ)持って帰って読めばと言われて、うん、と、借りた。

その後、佐々井と会うことはなくて、聞いた話では、離婚して家を出て、たぶん子供は連れて行っていないと聞いた。
さらにその後、風俗店で働いていると知ったのは、夜中のテレビに出ていると、同級生に聞いたから。
何回かテレビに映っている佐々井を見た。
佐々井、あんたそんな名前ちゃうやろ、って思った。妙に画数の多い、洋風の名前をむりやり当て字にしましたよ、っていうやつ。
佐々井は違う名前の人になった。

たまに思い出して、どうしてるんやろ、漫画借りっぱなし、って思うことはあっても、連絡取ることはなくて。まぁ、連絡先もうわからなくなっていたけど。

漫画返すから会おうよって、早く連絡してたら、今佐々井が佐々井でいるのか、そうでないのか、わかったのかな。って思ったりする。

佐々井だけじゃなくて、あの人どうしてるやろ、って人は沢山いて、たまに思い出す。
でもそれだけで終わる。
出会うすべての人との関係を、ずっと継続させることはできないだろうから、こんなもんなのかなと思うのだけど。


それからかどうだか、私は借りたものは、早く返さな!と思うことが強くなって、借りたビデオを途中で寝たにも関わらず、とりあえず見たから返したこともある。ちゃんと見てないことが借りた本人にばれて、なんじゃそりゃってなったこともある。

もう佐々井は私のことも、漫画のことも覚えてないかもしれないけど、借りてた漫画返すから会おうよって、今なら言えるのにな。


元気でいてくれ、って思う。色々と尋ねたい事もそりゃあるんだけど。もしも中学のあの時…、と、思ったりもする。でも、私の言葉で変わったのかも、と思うなんて、思い上がりも甚だしい。んだろうな。佐々井ー。


なんでもない、思い出したこと。ただそんだけ。

Posted by : bombori | おもうこと | 03:38 | - | - | -
ないわの日
去年12月のお伊勢さんマラソンに友達と申し込みをしておりました。

私は初ハーフマラソンにて、彼女はきっと、一緒に行くわ、と言うてくれたのだろうな。

お伊勢さんマラソンを控えた、大阪マラソン受付ボランティアの時に、妊娠判明したとあり、なななんとー。
初期だったのでまだ周囲に告げていない中、マラソン走れないから、言っておかねば、という事で、大阪マラソン受付ボランティアの舞台裏で、私は大事なお知らせを受け取ったのでありました。

走れないけど、付き添いでお伊勢さんは行くからね、と一緒に行ってくれて、色々としてもらい。

季節は変わり。友達のおなかも大きくなり。

まだまだ先だと思っていた、赤子ちゃんとのご対面がもう目前。


ウニっこさん、きみのお母さんと私は会って2回目で旅行に行こう!となって、実行にうつし、旅をしました。
中々そんな事はないと思うんでけど。こんな私ですから。

あれから随分経つのだなー。

おもしろ話は事欠かないから、きっと聞かれなくても話すと思うけど、いつか聞いておくれ。

パイセンもいるし、なにもおそれず、安心して生まれておいでませ。

きみのお母さんは、素敵なお人ですからな。
あ、お父さんも、な。呑んだら自由になるけどな。

洋服の青山もおりますからな。

たくさんの人が君を笑顔で迎えると思います。お楽しみに〜。


はー、そわそわデイズ。
Posted by : bombori | おもうこと | 08:21 | - | - | -
願わくば
死ぬまで生きよう

時々思い出して考える。


リンダさんの前のブログで読んで、もしも死にたいと思ったなら、その気持ちは、最期、死ぬ時がくるまで取っておく、というような内容だったと思う。あの時死にたいと思った事、今(最期の時に)果たす。っていうような。

人は必ず死ぬから、最期まで取っておく、と。

明日の事はわからなくて、もしかしたら明日そうなるかもしれない。
だから、最期まで、ちゃんと「生き」なきゃならない、って自分で静かに決意するような、そんな言葉だなぁと思った。

とはいえ、
自分は大丈夫とか、自分の家族は大丈夫。っていうなんの根拠もない自信というか、思いってなんでかあって、大丈夫じゃないかもっていう事態になってはじめて、わ、どうして!どうしよう・・・と思ったりする。

勿論、もしかしたら、という懸念でもって、ふとそれを心配したりもするんだけど。

完全に安全(韻踏み)って言いきれることは、恐らくなくて、全ての事を心配していたら、何もできないし、身が持たないから、毎日毎日それを心配して過ごすことはなくて。

私は大きな病気も事故もなく今まで過ごしているけれど、8年前、母が病気になった時に、え!なんで!どうして!どうしよう・・・となった。

いつまでも元気でいてくれるもの、ってなんでか思っていた。
そんなことはないとわかっているのに。
遠く遠くにあった、家族が死ぬかもしれないということが目の前に突き付けられた。

母の手術は成功し、その後、抗がん剤治療を経て、今。
そんなこともあったね、て。

ある日突然、非日常になって、もう前のような日常に戻る事はないのか、と思った。

少しずつ取り戻す中でも、付きまとう影のようなもの。それがあるから、もう前のような日常はないなーと思っていた。

前のような日常に戻る事がいいと思ってたけど、そうじゃないかもしれんな、と思う。
前は前で、今は今だ。
同じ日は二度と無くて。何かがあっても、なくても。

経た今。多分、端から見たら、相変わらず、に見えるんだろうな。

季節は変わり、人は年を取る。


死ぬまで生きよう。
自分の為に。


それと共に思い出すのは、角田光代さんがエッセイに書いていたこの詩

感謝

わたし共にもやがて最後の時が来て、
この人生と別れるなら、
願はくば有難うと云つて此の人生に別れませう。

灰色の粉雪、七(しち)むつかしい顰(しか)めつ面の迷ひ雲、
雲は下界のあらゆる聴覚を障(さへ)ぎり、
老(おい)と沈黙(しじま)と追憶の、
ひとりぼつちの古美術品展覧会、
ああ、世の聾(つんぼ)の老博士、無言教の寡婦さん、
子に先だたれた愁傷な親御達!
あなたがたの悔(くい)や歎きもさる事ながら、
願はくば死ぬ時この人生にお礼を云つて御暇乞をして下さい。
それは慥(たし)かに人生に対する寛容の美徳です。
悪に報いる金色の光り放つ善です。
生はそれくらゐ気位高く、強く、明るく、
情熱を以(も)つて、鏡のごとく果つべきです。

福士幸次郎「展望」より


角田さんが書いていたのは、この人生に別れませう までで、私は随分と、これは誰の言葉だろうなと思っていて、この前ふと、調べてみたら判明した。

別れませう以下、そう思えるかなーとも思うけど、
そう、願わくば、ありがとうと言いたい。死ぬまで生きて、言えるように。

Posted by : bombori | おもうこと | 23:18 | - | - | -
TOP