日々のなんやかんや
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願わくば
死ぬまで生きよう

時々思い出して考える。


リンダさんの前のブログで読んで、もしも死にたいと思ったなら、その気持ちは、最期、死ぬ時がくるまで取っておく、というような内容だったと思う。あの時死にたいと思った事、今(最期の時に)果たす。っていうような。

人は必ず死ぬから、最期まで取っておく、と。

明日の事はわからなくて、もしかしたら明日そうなるかもしれない。
だから、最期まで、ちゃんと「生き」なきゃならない、って自分で静かに決意するような、そんな言葉だなぁと思った。

とはいえ、
自分は大丈夫とか、自分の家族は大丈夫。っていうなんの根拠もない自信というか、思いってなんでかあって、大丈夫じゃないかもっていう事態になってはじめて、わ、どうして!どうしよう・・・と思ったりする。

勿論、もしかしたら、という懸念でもって、ふとそれを心配したりもするんだけど。

完全に安全(韻踏み)って言いきれることは、恐らくなくて、全ての事を心配していたら、何もできないし、身が持たないから、毎日毎日それを心配して過ごすことはなくて。

私は大きな病気も事故もなく今まで過ごしているけれど、8年前、母が病気になった時に、え!なんで!どうして!どうしよう・・・となった。

いつまでも元気でいてくれるもの、ってなんでか思っていた。
そんなことはないとわかっているのに。
遠く遠くにあった、家族が死ぬかもしれないということが目の前に突き付けられた。

母の手術は成功し、その後、抗がん剤治療を経て、今。
そんなこともあったね、て。

ある日突然、非日常になって、もう前のような日常に戻る事はないのか、と思った。

少しずつ取り戻す中でも、付きまとう影のようなもの。それがあるから、もう前のような日常はないなーと思っていた。

前のような日常に戻る事がいいと思ってたけど、そうじゃないかもしれんな、と思う。
前は前で、今は今だ。
同じ日は二度と無くて。何かがあっても、なくても。

経た今。多分、端から見たら、相変わらず、に見えるんだろうな。

季節は変わり、人は年を取る。


死ぬまで生きよう。
自分の為に。


それと共に思い出すのは、角田光代さんがエッセイに書いていたこの詩

感謝

わたし共にもやがて最後の時が来て、
この人生と別れるなら、
願はくば有難うと云つて此の人生に別れませう。

灰色の粉雪、七(しち)むつかしい顰(しか)めつ面の迷ひ雲、
雲は下界のあらゆる聴覚を障(さへ)ぎり、
老(おい)と沈黙(しじま)と追憶の、
ひとりぼつちの古美術品展覧会、
ああ、世の聾(つんぼ)の老博士、無言教の寡婦さん、
子に先だたれた愁傷な親御達!
あなたがたの悔(くい)や歎きもさる事ながら、
願はくば死ぬ時この人生にお礼を云つて御暇乞をして下さい。
それは慥(たし)かに人生に対する寛容の美徳です。
悪に報いる金色の光り放つ善です。
生はそれくらゐ気位高く、強く、明るく、
情熱を以(も)つて、鏡のごとく果つべきです。

福士幸次郎「展望」より


角田さんが書いていたのは、この人生に別れませう までで、私は随分と、これは誰の言葉だろうなと思っていて、この前ふと、調べてみたら判明した。

別れませう以下、そう思えるかなーとも思うけど、
そう、願わくば、ありがとうと言いたい。死ぬまで生きて、言えるように。

Posted by : bombori | おもうこと | 23:18 | - | - | -
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