家庭的だと言われる。
それは私が、炊事と裁縫ができること、こどもが好きなことを知ると、大抵そう言われる。
先日伯母が家に来た際、私のこどもが見たいわ、と言った。
あと、知り合いの結婚相手を探してる人がいるという情報も。
笑ってやり過ごす話題。
家庭的であっても、家庭を持つとは限らないのであって。
父はもう諦めたのか、ほとんど言わないし、母は自分の好きにしたらええがな、の人なので、何も言わない。
私が幸せであればそれでいいと思ってくれていると、思っている。
私は結婚したいと熱烈に思ったことは一度もない。
結婚したいと思ってからの問題であろう、という、そもそも問題。
そう思ってからの。そう思う人がいてこその。
というのは、結婚に対しての過剰な期待があるのか、などと思わないでもないけど、この際それは置いといて。
この前、結婚できないという幸せもある、という記事を読んだ。
結婚しないかわりに、他に幸せを見つけるんじゃないか、という。
何をもって幸せとするのかは、その人次第だ。
このことをずっと思っていた。
そんでもって、先に幸せになるかどうかわかる術はなく、後で思うこと。
私は結婚しないかもしれないけど、それはそれで、と思っていて、別の何かを見つけるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
自分の人生がどうだったか、振り返り、どう思うかはきっと死ぬ間際。
この前、大学時代の友人達と会った時、独身の友人は、ちゃんと妊娠できるように体のケアをしてる、と言うていた。
卵子凍結について、どんなもんなの、と調べたことがあったり、こどもだけでも、などとチラリと思ったことはあるけれど、後悔したくないから、と、そのために手を打つことはいいことなんだろうなーと思うけど、私はだいたいその時になってから考えよう、と思っているので、この先もそうかもなーと思っている。
私は熱烈に何かを望んだことあったか。
熱烈に何かを望むことに対しての憧れがきっとあるんだろうなと思っている。
それを手に入れるのかどうか。
手に入れたら変わるのかもしんないな。
それはまたその時に考えよう。